はじめに
日勤教育。
とある大事故からその闇が知れ渡った恐怖の勤務。
でもそこで報道されたのはごく一部でしかありません。
本当の日勤教育を解説します。
それでは出発進行。
日勤教育の歴史
日勤教育がどこの鉄道会社から始まったのか、その歴史ははっきり言って分かりません。
というのもどこの鉄道会社でも大なり小なり行われており、国鉄時代の遺産説もあれば某私鉄が始めた説もあり、各社が他社の事情を参考にしながら自然発生的に始まったものであろうと推察されます。
日勤教育には軽いものからヤバめのものまで様々あるので、それをレベル別にご紹介していきましょう。

レベル1
日勤教育が始まると当然通常の運転業務からは外され、別室に隔離されます。
そしてまず第1にやること。
なぜミスをしてしまったのか、その原因を深掘りするとともに再発防止策について報告書の作成を命じられます。
報告書の作成と言えば聞こえはいいですが、実情はそんなものではありません。
提出された報告書は上司である助役などがチェックするわけですが、本人の反省を促す指導をするわけではなく、ただ単に人格攻撃をするためだけに使用されます。
ミスをしたときにどんな行動をしたのか?どんなことを思ったのか?そんな内容に対して「そんな行動するなら運転士辞めてまえ」とか「そんなこと思って人間失格やな」とか色々言われます。
あげくの果てには文の表現が違うとか、字が汚いとか、とりあえずなんでも良いのででかい声で威圧して、書き直しさせる口実を見つけたいだけに使われることになります。
報告書が完成するのか否かはチェックする側のさじ加減1つなので、OKが出るまでただひたすらに書き直しさせられます。
運良く報告書が完成したとしましょう。
で、終わりかと言えばそうではありません。
次はひたすら書き写しを命じられます。
乗務員として仕事をしていると様々なルールや規則に縛られることになります。
有名なところでいうと、運転取扱い実施基準や旅客営業規則でしょうか。
これはあくまで大枠の規則であって、しかもお客さんが確認できるものになります。
こんなのはごく一部であって、例えば電車を運転するにあたって駅を発車するときには、車掌からの合図を確認する→時刻を確認する→戸閉め灯の点灯を確認する→信号機の現示を確認する→そして出発すると言った感じで一つ一つ手順が定められていて、全てのものを集めると天文学的数字になります。
で、この無限にあるルールや規則を全て書き写せといったことを命じられます。
終わりがないものを上が満足するまでひたすら無駄なことをさせられるこの仕打ちに皆さんは耐えられるでしょうか?

レベル2
報告書を書いたり、ルールや規則を書き写すのは百歩譲って仕事に必要なことなので許しましょう。
ではここからはどうでしょうか?
隔離部屋から解き放たれシャバに出てきました。
では乗務に復帰できるかと言われればそうではありません。
ここから命じられるのは美化活動です。
例えば休憩所や宿泊所を綺麗にしとけとか、通路の雑草抜いとけとか、不要品の選別をしておけなど、直接的に業務に関係のない雑用を押しつけられることになります。
ありがたいことに毎日大掃除をさせられるわけで、先程と同様こちらも終わりのない作業をさせられることになります。
普段掃除しないところをやれと言われるのでとんでもなく汚いところを掃除させられ、しかも乗務区の休憩所だけでなく担当路線上に散らばるいろんな所の休憩所など色んな所の掃除に行かされます。
部屋にこもってひたすらペンを動かすレベル1と比べて体を動かすようになるので、気が紛れるような気もしますがひたすら毎日掃除を命じられると今まで電車を運転してたのに何やっているんだと精神的にくるものがありますね。

レベル3
さてここまで基本的には日陰暮らしを強いられていたわけですが、ここからは日の目を浴びましょう。
日の目を浴びるということは乗務に復帰できるのかと思いきやそうではありません。
1番人目につく場所。
そう、乗務区の入り口に立たされます。
イメージで言うと学校の廊下で立たされるような感じでしょうか。
乗務区の入り口に立っていると、今から乗務しに行ったり、乗務を終え休憩しに来た乗務員が通ります。
そんな目の前を通る乗務員に対して、「無事故で気をつけて下さい」とか「乗務お疲れ様でした」と言った風に一言声かけを行うことになります。
1日8時間みっちりと直立不動で声かけをしていく。
やってることは簡単なことかもしれませんが、精神的にかなりつらい仕打ちですね。
自分に親しい人が立たされていたとすれば、目の前を通るこっち側もなんかいたたまれない気持ちになりそうですね。
ただ、乗務区で立たされているだけならまだよいかもしれません。
もっと酷い場合なら大きいターミナル駅のホームに立たされます。
こちらも到着した電車の乗務員に対して一言声かけを行うわけですが、乗務区と比べてさらに多くの人の目にさらされることになります。
お客さんが見たとしてもなんとも思わないでしょうが、駅員から「あ~なんかやらかしたんやろうなぁ」と同情の眼差しを受けるだけでなく、普段関わることのない他路線の乗務員にも「あっ察し…」と思われることになります。
こんな辱めに会うことがなんの意味になるのか分かりませんが、こんなことが行われていたのは事実です。

終わりの見えないトンネル…
さてこんな感じでしんどい日勤教育が行われていたわけですが、1番のしんどい点は内容よりもその期間かもしれません。
というのも、日勤教育を何日間やるのか。
それは乗務員の上司である助役や乗務区のトップである区長のさじ加減1つです。
2、3日で終わる話なのか、数週間なのかはたまた数ヶ月単位なのか?
最初に言っといてくれたらよいのですが、残念ながらそうではありません。
終わりの見えないトンネルであり、ひたすら早く終わってくれと願い続けることになります。
大体の目安も無いの?と思われるかも知れませんが、目安すらありません。
だって同じ様なミスをした2人がいたとして、片方はすぐやったけどもう1人は長期間やらされるってことも往々にしてあります。
こいつは自分と仲が良いから早めに終わらせたろうとか、あいつはあそこの組合やから長引かせたろうとかマジで私怨がかなり大きく関わってきます。
そんなのあかんやろと思われるかも知れませんが、そういう時代だったんです。
会社的にはお客さんの命を預かっている仕事やからっていう建前ですが、働いている側からしたらたまったものではありません。
なので、ミスをしたらややこしいことになるから隠そうであったり、黙っておこうと言った考えが働くのもそらそうなるよねって思ってしまいますね。
とまぁこんな感じで昔はヤバい日勤教育が行われていたのですが、現代でも日勤教育自体は存在します。
日勤教育をやるとは何事だとお叱りを受けそうですが、個人的には必要なものであると思っています。
ただ決して過去の日勤教育を肯定するものではなく、あくまで現代においてアップデートした日勤教育の話です。
今回は長くなってしまったので、現代版の日勤教育については次回お話ししましょう。

裏話
私がこの昔の日勤教育をされたらすぐ病んでるでしょうね。
確実に仕事を辞めてやると思い転職するでしょうが、そう考えるのは今の考え方だからでしょうか?
その時代なら簡単に辞められることも難しそうですし、そのことでまた暴言を浴びそうですし結局はサンドバックになるしかないんでしょうね。
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